「こんなはずじゃない」
そう思ったことはないだろうか?
── 安定した仕事に就いているのに、どこか心が満たされない。
── 夢があるのに、失敗を恐れて踏み出せない。
── 人間関係に疲れ、本当の自分を見失っている。
かつての私も、まさにそうだった。
だが、一つの選択が人生を一変させることを、私は身をもって知った。
幼少期──
「人に譲る」ことが当たり前だった少年
1976年、東京都生まれ。
父は新しいものを一切受け入れない頑固な男。母は「こうあるべき」に厳格な教育ママ。
そんな家庭で育った私は、いつも周りを気にして、自分の意見を言えない子供だった。
「自分がどうしたいか」よりも、「人に迷惑をかけないこと」が最優先。
体も弱く、何をするにも自信がなかった。
それでも心のどこかで、「このまま大人になっていいのか?」という疑問があった。
青春──
「居場所」を求め、ただ流される日々
学生時代、集団行動が苦手で、周囲に馴染めなかった。
中学では、誘われるままに吹奏楽部へ。興味がないことには全く力が入らず、成績は学年最下位レベル。唯一、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の影響で、英語だけは得意だった。
高校ではスキー部に入るが、これもまた「なんとなく」。
「自分が本当にやりたいことは何か?」そんな問いすら考えたことがなかった。
社会人──
理不尽な現実、逃げるように海外へ
卒業後、トヨタ自動車に就職。
しかし、人間関係に悩み、たった1年で退職。
「どこに行っても、うまくいかない」
そんな思いを抱えながらフリーター生活を続けるも、未来は見えなかった。
── そんなとき、偶然目にしたワーキングホリデーのポスター。
「行くあてもないなら、いっそ海外へ行ってみよう」
21歳、オーストラリアへ旅立つ。
転落──
「自由のはずが、アルコール中毒」
英語を学びながらトマト農園で働くが、オーナーの都合で家を追い出される。
所持金もわずか。たどり着いたケアンズで、自作のアクセサリーを売りながら、その日暮らしを始めた。
そこで出会った仲間と、毎日バーで飲み明かす日々。
楽しかった。初めて「居場所ができた」と思った。
── しかし半年後、バーが祝日で閉まったときに気づいた。
「俺、酒がないと生きていけないのか?」
手持ちの金は尽き、帰国の航空券も買えない。
このままでは、本当に人生が終わる──。
エアーズロックのガイドとして働き始め、過酷な労働の中で酒を断った。
そして、そこで出会った女性と共に、日本に帰国することになる。
挑戦──
「このままでいいのか?」通関士への道
帰国後、地盤改良工事の会社に就職。結婚し、2人の息子にも恵まれた。
だが、ふとしたときに思った。
「このまま、この仕事を続けていいのか?」
そんなとき、同僚に「通関士」という職業を教えられた。
「人生を変えたい」──そう思い、仕事を辞め、猛勉強の末、たった3ヶ月で国家資格を取得。
通関士として出世し、安定した収入を得る。
傍から見れば、成功者だった。
しかし── 心は満たされなかった。
運命の出会い──
「300万を持ってこい」
そんなとき、インターネットビジネスで成功したシンガポールの事業家を知る。
「この人に学びたい!」
会うことができたが、弟子入りを申し出ると、彼は言った。
「本気なら、300万を持ってこい」
翌日、会社を辞めた。
後に聞いた話だが、彼は私の覚悟を試していたらしい。
そこから、彼の元でビジネスを学び、億万長者たちの世界に触れる。
そして気づいた。
「お金を稼ぐだけでは、本当の自由にはならない」
それは、どう使うか。
どう社会に還元するか。
その想いから、カンボジアの小学校建設に寄付し、教育の力を信じるようになった。
究極の自由を求めて──
世界へ
40歳でリタイアを決意。
息子の留学を機にシンガポールへ移住。
その後、世界中を旅し、43カ国に移動距離は572,154km、実に地球14周分に到達した。
しかし、その2年後──
コロナが発生。
シンガポールは厳しいロックダウンに突入し、自由を失った。
「このままではダメだ」
翌年、規制のないUAEへ移住。
そして、再び世界を飛び回る日々を取り戻した。
Ultimate Freedom X──
「自由こそ、最大の資産」
自由とは、お金だけでは得られない。
場所・時間・人間関係──本当の自由を手に入れるには、環境と学びが必要だ。
だから私は、「Ultimate Freedom X」を創業した。
ここは、「こんなはずじゃない」と思っているあなたのための場所。
過去の私のように、何かに縛られ、動けなくなっている人へ。
人生は、一歩踏み出せば変わる。
私がそうだったように。
今、あなたの人生の主導権を取り戻そう。
「OWN YOUR LIFE」
人生を、自分のものにしよう。